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言わずと知れた日本で一番大きい湖、琵琶湖。その琵琶湖の北東部に位置するのが西野水道(にしのすいどう)です。西野水道は江戸時代に造られた手堀りの水路です。現在でもトンネル内を見学することができます。水道は知る人ぞ知る貴重な史跡スポットです。今回は、西野水道と琵琶湖について詳しくご紹介します。

言わずと知れた日本一の大きさの湖 「琵琶湖」 について


ここでは琵琶湖について詳しくご紹介します。

①そもそも琵琶湖とはどんな湖なのか?

 琵琶湖とは、滋賀県の中央部に位置する日本最大の湖です。盆地にある湖であるから、波がなく、1年間ずっと穏やかな気候です。場所によっては対岸が見えず、まるで海のように広大に見えます。琵琶湖の面積は、滋賀県の1/6でおよそ670km²あります。例えると、東京23区別、または東南アジアのシンガポールとほぼ同じくらいの広さです。

②琵琶湖の歴史とは?

 実は琵琶湖は、およそ440万年前に誕生した世界でも4番目に古い湖です。一般的な湖には寿命があります。およそ数千年〜1万年ほどで消滅すると言われていますが、琵琶湖はおよそ400倍も長い間存在する世界でもかなりレアな湖です。

③琵琶湖周辺の観光スポットと年間入場者数はどれくらいか?

 びわ湖周辺の観光スポットで一番人気があるのが「びわ湖テラス」です。びわ湖テラスは、標高約1,100mの打見山頂にある絶景観光スポットです。琵琶湖を北から南まで一望することができ、レイクビューを楽しむことができます。びわ湖テラスの年間入場者数はおよそ60万人です。

④琵琶湖は姿形を変えて移動する湖だった。

実は琵琶湖は研究によると、これまで何度も姿形を変えて移動する湖でした。これまで陥没したり、深湖になったり、広い沼沢地になったりを繰り返していました。本来は三重県伊賀市付近で誕生したと思われ、およそ440万年の月を経て、現在の滋賀県の中央部まで到達しているとあります。また琵琶湖は現在でも年間およそ2〜3cmほど北に動いており、長い年月を掛けて日本海に繋がってしまうのではないかという説があります。

洞窟の中を冒険できる 「西野水道」 について


こちらでは西野水道について詳しくご紹介します。

①そもそも西野水道とは何か?

西野水道とは、琵琶湖の北東部に位置する手掘りのトンネルのことです。現在の滋賀県長浜市高月町の「西野集落」にあったことから、西野水道と検討されました。具体的には西野水道とは、西野の西山という山の麓に入口があり、出口は琵琶湖へ向かって先に貫かれているトンネルになります。現在は滋賀県指定文化財に指定されている「史跡 西野水道」が正式名称です。

やはり西野水道の本来の目的は、人がトンネルを通るのではなく「放水路」でした。調査したところ西野水道の年間入場者数は、現在はおよそ4,000人弱なんだそうです。

②洞窟の中を冒険することができます!!


▲洞窟を抜けた先には湖畔の美しい景色が待っています!! 

西野水道は洞窟の中に入って冒険できることができる珍しいスポットです。長さはおよそ250m、比較的高い場所はおよそ2m、比較的横幅が広い場所はおよそ1.5mです。中腰で進まなければそれほど低い場所もあります。事務所でヘルメット、長靴、懐中電灯を無料でレンタルできます。懐中灯は電球なのでスマホのライトの方が明るいかもです。長靴とヘルメットは必須アイテムとなります。コウモリが天井に張り付いているのでちょっとびっくりするかも知れません。


▲こちらが新トンネル入口です。湖畔に早く行きたい方はこちらを通ってくだい。


▲管理事務所です。ここで長靴、ヘルメット、懐中電灯をレンタルできます。


▲西野水道の入り口はわかりにくいです。管理事務所を直進してこのオブジェを通過してください。


▲西の水道の入り口です。ここから冒険の始まりです。


▲洞窟内には名前通り水が流れております長靴は必須です。


▲洞窟を抜けると湖畔の美しい景色が待っています。

③西野水道が造られたのいつ頃か?

 西野水道が造られたのは、今からおよそ180年前の1840年です。1840年は日本では江戸時代の天保11年で、第11代将軍徳川家斉の時代です。この時世界ではイギリスと中国が戦ったアヘン戦争が起きた。西野水道は残り5年の大事業となり、完了は弘化2年(1845年)の秋頃です。

④なぜ西野水道は造られたのか?

 西野水道が造られた理由は、大雨による度重なる大水害に遭ったからです。180年前に西野集落は、北と西を賤ヶ岳(しずがたけ)山系の尾根に囲まれた残りの呉川(よごがわ)の中の流れ部になりました。大雨が降ると、残りの呉川から溢れた水や他の集落の雨水は、低地である西野集落に流れ込んでいました。

そのため大雨のたびに西野集落範囲は冠水して沼地のようになります。700反(およそ東京ドーム1.4個分)以上あった水田はすべて水に浸かってみて西野集落は全体的な被害を受けました。また水害がもとで大飢餓になり、村人はドングリの実を拾い、葛の根を掘り、雑草を食べてなんとなく生き延びてきたと考えています。

⑤西野水道は誰かが造ったのか?

西野水道の建設を検討したのは、地元西野集落に住む西野充満寺の第11世住職・西野恵荘です。西野恵荘は、西野集落の西側にある山をくり抜き、琵琶湖に直接注ぐ排水トンネルを掘ることを考えました。経費は彦根藩の代官を担当が窓口になり彦根藩が出してくれます。さらにその際に大老井伊直亮を始めようと江戸本部も考えて判断していただきました。

労働のほとんどは西野村の負担がかかります。また実際に現場で西野水道を掘ったのは能登の石工と伊勢の石工たちです。

西野水道の完了までにかかった費用は合計1275両でした。1両を最新貨幣価値に換算するとおよそ1億2,750万円(1両10万円として)となります。当時は重機なども無く人力で作業していたので大変な労力だったのだと思います。

⑥具体的に西野水道はどうやって造られたのか?

 西野水道の建設は挫折の連続でした。最初は能登の石工が琵琶湖側から掘り始めましたが36mまでいって断念。今度は逆に西野集落側から掘って20mほど進んだ場所で能登の石工が慌てて能登へ戻ってきました。

その後、伊勢の石工からデフォルトがございます。そしてついに1845年6月4日午後4時に西野水道は見事に成功しました。

まとめ

今回ご紹介した西野水道は、江戸時代に造られた初代の完全手掘りのトンネルです。実際の西野水道は、現在までに3本造られています。

初代の完全手掘りのトンネルに入ると、西野水道がある公園の事務所に寄り、ヘルメット、長靴、懐中電灯を借りて、探検スタイルにしてから西野水道を探検してみてください。 冒険気分を味わえる珍しいスポットです。

また、新トンネルを使えば湖畔まで簡単に安全に行くことができます。駐車場も無料なので少し琵琶湖を湖畔の景色を見てみたい方にもおすすのスポットです。洞窟を抜けた先には美しい湖畔の景色が待ってあなたを待っていることでしょう。

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